2011年07月05日

つらかった日々を思い出す




世の中にはいろんな人がいますね。
昨日は地域の集まりがあり、どうしても会いたくない人に会いました。

息子がまだ小さい頃、もうひとつの小さな命を授かりました。
「この子に歳の近い弟か妹ができる!」と嬉しく思うと共に「こんなに手がかかるこの子の面倒をみながら、仕事をこなすことに必死なのに、つわりの時期を乗り越えられるのか。その後、ふたりを私ひとりで育てられるのか。」ととても不安になった。
親戚、友人が誰もいない長野に来て3ヶ月後に出産。誰にも助けを求めることが出来ず、アダムも忙しくて全く手伝ってくれなかった当時。
すでに育児ノイローゼの状態なのに、これ以上、負担が大きくなったらどうなるのか。

そんな風に一瞬でも思ってしまった私を察したのか、その子は私のお腹のなかで育たなかった。
私は自分を強く責めた。
何故、頑張ってふたり育て上げると思ってあげられなかったのか。

体力的にも精神的にもどうにもならず、本当につらい日々が続いた。
いつも涙を溜めて、下を向いてただただ日々が過ぎていく感じだった。あまりに辛かったから、感情は麻痺していた。
感情を感じることが辛かったから自分を守るため、感情は全くといっていいほど動かなくなっていたのだろう。
何もしたくないけれど、やらなければいけないことをどうにかこなすだけの毎日。

そんな時が数ヶ月続き、ほんの少しだけ「変わらなければいけない」と思い始めたその頃。
少し先の集落のばあさんが私に寄ってきて、こう言った。
「もったいないことしたね」そして「いつ生まれる?」
私には意味が解らなかった。3回聞き直す。
「だから、いつ生まれる予定だったんだい?」
「0月」と答えると
「あ〜、おらんとこも0月なんだよ」と嬉しそうに。「同じ頃、生まれる予定だったのに」と笑顔。

その人は私に何を言いたかったのか、一体何をしたいのか。

その人から離れ、私は泣いた。長い時間泣いた。生まれてくることのできなかった子に謝りながら泣いた。
その人はその後も私の顔を見る度にそのことを口にした。
自分の孫が生まれた。大きくなった。おまえんちは残念なことしたと。
何故そんなひどいことを言うのか。そんなにひどい人がこの世に存在するのか。


とにかく顔を合わせないようにして、近くに来たらすぐに逃げるようにすることしか私にはできない。
昨日は状況上、どうにも逃げることはできなかった。

世の中にはいろいろな人がいて、それぞれの価値観がある。
理解できなかったり、納得できなかったり。でもそれでいいんだろうなといつも思う。
自分の感覚とは違う人の話を聞いて、視野が広がったり、考えをぶつけてみたり。

でもその人のことだけは、理解できない。どんなに大きな心を持とうとしても無理だ。
私は人だから。感情を持った人間だから。

【物事は全て必然である】と私はいつも考えている。
その人の言動はきっと私に何かを教えているのだろう。
10年以上も前のつらい経験を思い出すことが今の私に必要なのだろうか。
何か意味があるのだろう。そう受け止めるしかないだろう。

「子供を望んでいるけれど難しい人」などが嫌な思いをさせられないような活動が出来ないかと考えてきた。
もしかしたら、それに取り組みを始める時なのかもしれない。

  


Posted by よーきー at 00:36Comments(10)